発達障害が配慮対象とされるということの意味

2017年07月05日BLOGOSの記事から。
発達障害が配慮される対象となったので、今までちょっとおかしな人だねと言って社会的に受容されていた人が病気の人となってしまったというのがこの方の主張かと思うのですが、そもそも受容されてなかったと思います。
今までだったら怠け者、粗忽者とか思われていた人が発達障害という特性のせいだっていうことが分かって、治療、療育を受けられる様になったのは全面的に良いことだったと思います。
私とこの方との過去と現状についての認識が違って、この意見を支持することはないですが、この様な考え方もあるんだなということですね。

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発達障害が配慮対象とされるのは良いことばかりなのかという疑問提起

会社の上司や同僚に「発達障害ではないか」と言われて受診する人もいる。二十代のASDやADHDの若者が不適応を起こして受診するばかりとは限らない。五十代六十代の人生のベテランが、肩を落として精神科の門を叩くこともある。
また、ASDやADHDは夫婦関係の大きなハードルとしてすっかり知られるようになった。伴侶が発達障害であることを知って、それにうまく対応する夫婦もいれば、伴侶が発達障害であることを知って、そこから離婚に至る夫婦もいる。

しつこくて恐縮だが、ASDやADHDが病気として知られるようなって、医療や福祉の手が差し伸べられるようになったことは、個々の患者さんにとって良いことだし、ASDやADHDが病気とみなされ、配慮が必要とみなされるようになったことによって得られるメリットは確かににある。

しかし、ASDやADHDが病気とみなされ、配慮されるようになったということは、ASDやADHDが病気とみなされなければならなくなったということ・配慮されなければならなくなったということと、同時進行だったことを、ときどき思い出しておいたほうが良いのではないだろうか。

元記事はもっと色々と書いていらっしゃるので、下記URLで確認して下さい。

発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れないhttp://blogos.com/article/232783/?p=1

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